ミキモト真珠-御木本幸吉
ミキモト御木本幸吉(うどん屋の息子)は、丸い真珠を養殖生産することに魅了されていました。
数年後、明治29年(1896年)、半円真珠の特許(第2670号)取得し、明治41年(1908年・50歳)、真円真珠の特許権を取得しました。
しかし、政府生物学者西川トウキチと大工のミセタツヘイは独自に真珠養殖の秘密を発見していました。明治40年(1907年)ミセは、真珠核の移植の特許をしゅとくしました。
西川が真珠核の移植の特許を申し込んだとき、めせも同じ発明を発見していた事をしりました。
二人はミセ・ニシカワ法として真珠核の移植の特許をを共同発明者とすることに合意しました。
しかし、ミキモトはミセ・ニシカワ法を使わずに彼自身の特許を使用することができませんでした。
そこで、ミキモトは真円真珠を作るための技術を改良して特許出願し、1916年に特許が与えられました。
その結果として、ミキモトビジネスは軌道に乗り、ミセ・ニシカワ法の特許権を買い取り、試行錯誤の末、更なる重要な発見をしていきました。
ミキモトは、アメリカのカラス貝を真珠核にすると、もっとも成功率が高いことをみつけました。
ミキモトの3つの特許とミキモトの真珠養殖の秘密は養殖真珠に革命を起こしました。
ミキモトは、万国博覧会で大きい真珠を展示しました。
今日、海水および淡水では、養殖真珠は主流です。
